純粋の闇真実の夜01

港町から東へ少し車を走らせると、すぐ静かな森に包まれる。
生前の祖父が三番目に愛した家はもう少し森の深いところにあった。


夏の強い日差し、といってももう夕方近くだが、それを心地よい木漏れ日に変えてくれる木々のアーチのような道を抜けると明るいところに出た。


「ついたわ」


運転席から母が言った。
ぼくはさっき港町で手に入れたばかりの珍しいチョコを綺麗に包みなおしてポケットにおしこんだ。
車から降りて別荘を見ると、ウッドデッキにまるくて優しいイメージを持たせるようなおばさんがフリフリのエプロンをして立っていた。


「ロッシオさん、こんにちわ。お世話になります」
「長旅だったでしょう、お疲れ様。さぁ坊ちゃんも中に入って入って」


僕はこんにちわ、と挨拶し、小走りで家に入った。
それから母、ロッシオさん、と続いた。


中は何十年もたっているのに小奇麗にしてあってとても落ち着く感じだった。


「クレイグ、こちらが管理人さんのロッシオさんよ。週に一回ここに来てあなたの面倒を見てくれるから。」


母がロッシオさんによろしくお願いします、と何度も頼んだ。
管理人のおばさんはにっこり笑ってよろしくね、と言った。


それからひと休みした後、荷物を片付けて母は父が迎えに来る港町へ帰った。
一人息子の僕をここに残して二人でのんびり過ごすんだそうだ。
管理人さんも一週間分の食料と、家の間取りの説明などひとしきりし終えると、母を自分の車に乗せて港町へ帰っていった。


そして夜になり、一人になった。


僕は夕食を簡単に済ませてから、お風呂を沸かすためにバスルームへ行った。
しかし、バスルームのドアを開けるとそこには黒光りするピアノがひとつ。


「まちがえた…」


そう思いながらもピアノに近づいた。
ピアノは天窓と、鍵盤の後ろの壁にある開いた大きな窓からの月明かりに照らされていて、目が離せないくらいだ。
この家の持ち主だった祖父もピアニストだった。
生前の若いころはずいぶん有名で忙しい日々を送っていたらしいが、晩年にこの家買って以来しばしば長くここへ泊り込むようになって、亡くなる前の三年間はここに一人で住み続けていたらしい。


「なぜここでずっと暮らしたかったのだろう。一人になるのには丁度いいとは思うけど…」


僕はお風呂を沸かしに来たことも忘れて綺麗に光るピアノの前に立った。
白い鍵盤に人差し指で触れると、音は見事なほど澄んで響いた。
僕はすぐに椅子に座って、鍵盤に両手を置き白と黒をたたきはじめた。
ピアノが歌いだす。
吸い寄せられるような音色に僕は夢中でピアノを歌わせた。
すると何か今まで味わったことのない、不思議な気分になった。


いつの間にか、音が増えていた。
どこから聞こえるのか目の前にあるピアノとは違う、けれども確かに重なる二つの音。
気分が高まった。
いつもと違う音に僕は弾くのをやめられなかった。


しかし突然重なっていた音ははじかれ、僕の手も止まった。
僕は甘い夢を見ていた心地だった。
こんなに気持ちよく弾けたのは初めてかもしれなかったし、なによりこんなにも吸い寄せられるような…。


ピアノを閉じて、ふと後ろを振り向くと開いた窓からの風が揺らすカーテンがもっと、とねだっているようだった。