(今日はいつもと違う感じの日記なので晋とかコタとか目当ての人はブラウザバックをオススメしますー。因みにネタが無いわけじゃないですよ?!今ちゃんと小説かいてますからー。)


三日坊主は避ける事が出来たのか。
でも考えてみると三日坊主って世間で言われてるからそこでやめたらアカンと思うだけで何処で止めても、止めたら負けだと思う。所詮この世は勝者と敗者で出来ているんだと思う。と、この日記と私の関係も勝敗がある。と思ってるのは私だけで「別にこんなんで勝敗とか考えるほうが神経質だ」とか思うでしょうね。あたしも思う様な人格はありますが。(not多重人格者…多分)



つーことで、本編行きます。(今までのは何だったのか…)



ミスは基本的にしたくない。

そしてミスする自分は許せない。
ミスした場合、多分、内容にもよるけど、自己嫌悪という四字熟語で片付けてしまうような感情とはまたちょっとちがったモノに陥ると思う。

わざとミスをして(又は見せかけ)相手の隙をつき、裏をかくという戦法もある。
また、某友人に勧められたが、ミス返しなんてのもある。
私は前者は現実的にミスをしていないという条件付ならやりかねない様な気もするが、後者は絶対にしない。したくない。
ミスをミスで返すのはどっちも負けだと思うからだ。

さっきから勝ち負けをグダグダ言ってるが、ただ単に負けたくないのかって訳じゃない。負けたらその分その後巻き返す事も場合によっては可能なのを知ってる。
ただ、ミスをミスで返すというのは相手と同等の立場になってしまうのが嫌だからやりたくないんだと思う。

自分は常に上にいたいと思ってる訳でもない。
下のほうが一々考えなくていいから楽っていうのも知ってる(こき使われるのは別として頭の問題)
上とか下とかっていう言い方はやり易くなるから好きだ。けれど、自分が上なのだからと思ってはいけない。常に下の立場で居なきゃいけない。上ってそういうもんだと思う。
押してばっかりも引いてばっかりもできない。

ここ2年間で私がマスターしたいのは『なるべく多くの人間を納得させる方法』である。
いつもコレは思ってたけど、出来ない事を「仕方ないな」と思ってた。十人十色っていう言葉があるから統一は無理だと思ってた。
でも今は何で無理って思うのかと逆に思っている。
そう思ってるから無理なんだと思ってる。病は気からと同じ現象だ。
それを実際に行ってる人がいる。
というか私たちは支持していなくてもその中の1人だ。
国というのは多くの人を納得させるように話が進む。納得しなければ可決しない。

多数決とは実に素晴しい物だが、ソレをする時にマイノリティの意見を聞かないのは間違っている。
多数決は多重にやるべきで、絶えずマイノリティの意見を聞き入れ、取り入れていくべきだ。本来ならば。
でも私たちの住んでいるこの空間は時間が流れている。
長いようで短い。よく思うことだ。
コレを短いと考えるなら勝負はよりはやく次の手を考え、更に何かあったときの対処法も考えられるならやり、もしまだ時間が残っているならば休養を取る方が、ぐっと勝率が上がる。

初めに言ったが、ミスはしたくない。
もし私の配下の1人がミスをすれば、私がミスをした事になる。
支持したのは私である。決定ボタンを押したのは私なのである。
その人を選んだのも私なのだから、責任は私にある。

ミスはしたくない、そう思ったのは取り返しのつかない事をして後悔した時。

謝る位なら最初からやらなければいい。
先を見通せない行動はミスに繋がる。
何度も計算されたその先にミスの無い、即ち後悔の無い勝利が待っているのである。

だが、この世の全ては紙一重、表裏一体。
人間は完全ではない。
故に、人生の中で一回もミスをしたことの無い人はいない。
私の人生で初めてのミスは生まれてきた事だ(この理由は長くなるので省略)
避けて通れない道は永久に存在する。


おやすみなさい。