始まりと終わり


あぁ、夏休みが終わってしまう!!つーかそもそも夏休みって何であるのか。無くてもいいって訳でもないが。確か理由はあったはずだけど…。今日は無知識になったつもりでそれを考えてみる。
そもそも学校って4月から1年間通って来年の4月には進級するものだ(留年・受験は考えずに)とすると、その間に休みがあっていいのか。無論土日はあってもいいだろう。勤めている人だって土日休みな人が多い。休みじゃない人はその他の理由もあるだろうが多くが独り者であると思う。何故学校は土日が休みなのか。義務教育である小中学校を基準にして考えてみる。つい何年か前までは土曜日も出校だったりもした。が、今は土日に何をしている?普通の家族である家は土日になればぐうたらしている時もあるだろうが、それは家族デーなのではないか?なんて思った。ありえなくは無い。実際僕の家は家族がそろうと暑い日でも外に連れ出される日があった。殺されるかと思った。が、その殺されるような運命にあっても家族で普段より長く会話をしたり、どこかで外食をしてこのラーメンは美味しいとか、こっそり親と子が不味くないかと互いに頷いたりしたり、二日間という限られた時間でもどこかへ旅行なんて事する家族も居るだろう。それが家族デーな土日なのか。だがそれは子が歳を重ねてくれば無くなってきたりもする。大きくなって国語や算数が出来るようになってくると電車に1人で乗って渋谷とか原宿とかの繁華街に友達と行くようになるだろう。そうなれば親は子と接することは日中の間では無くなるだろう。無論、相手の友達の親もだ。とすると、土日は家族デーではなくなってしまう。これでは最初の論理に片がつかない。ヤバイ。違うと思うとまたいろんな土日の使い方が浮かんでくる。普段は忙しくてなかなか会えないとある二人のデートとか。平日にたまった宿題を一気に片付ける少年の姿とか。そういう人を思うだけでまた新しい文章が作れる自分は何なのかとかいう訳の解らないことまで頭の中で渦巻いている。でも結局の所それはただ暇だからというのと、現実逃避という二つの理由で片付いてしまうので面白くない。だって自分はおおきくなった(=知能の向上や行動範囲の増加)から、少しうーん、と考えてみれば答えは出るんだ。それでは面白くないから、夏休みが何であるのかを考える際に土日から考えるなんて言う実に他人からすれば理解し難い下らない事をやっているわけだ。人間って、というか僕ってそういう生き物だ。そして土日っていうのは僕にとってそういう下らない事をさらっと教えてくれる日だ。そう考えれば夏休みって言うのは避暑のためでもあるが、人間を腐らせるには十分な期間だと思う。だって僕は考えからしてもうこんなに腐ってる気がしてならない。しかもこの文章の口調がいつもと違うのは気のせいか?否!絶対これは僕が腐った証拠だ。でもまだ生きてる。それはこの文を読めば解る。何故か?だって文の内容が尽く曲がっている。曲がるどころか飛躍。飛んだって言う方が妙にしっくりくる。でも自分がこういう動物だってことが再認識させられる。下らない事を長く書くのは好きだ。と僕が思うと、僕は下らなくない事を書くことについて考える。そしてその下らなくない事っていうのは何なのか考える。そして必ず途中で一番最初だけ読み返す。それが本当にくだらなくて次のネタになる。この文章も全部ちょっとづつ抜いていったら途方も無いネタになるだろう。なるほど、実際の理由以外の夏休みが何であるのかっていう事の答えがちょっと解った気がしてきた。
でも学校を空けるのは実に面倒だ。全部やり通してしまって休みが欲しい。そのためにはまず四季から変えたい。途方も無い話になるので今日はここまで。予定は未定。